都の富士 と 花の粧
羊羹製“花の粧”
とらやの “花の粧”をいただきました。
天保4年(1833年)に光格上皇から御銘を・・・
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・・・いただいたのだそう。
江戸時代も天皇家に菓子を納めていた「とらや」ならではの御菓子です。
紅と白の羊羹製(いわゆる“こなし”)を貼り合わせ、四隅を折って小豆の小倉餡を包んでいます。
2色の生地を張り合わせてているのが腕の見せどころ、でしょうか。
蒸羊羹のような生地の歯切れのよさと、濃厚な小倉餡。
そしてなにより美しい意匠をパーフェクトにつくりあげる
完成された高い技術。
宮家の御用を務めるには必須のことなのでしょう。
菓子を注文した光格上皇は1817年に仁孝天皇に位を譲り上皇になったのだそう。
譲位後はたびたび修学院離宮を訪れ、
その際、とらやにお菓子を注文されるのが常だったようです。
このお菓子も100個オーダーされている。
ちなみにトップ画像の“都の富士”は蒸羊羹製で公卿の近衛内前の御銘。
平成時代の天皇だった上皇明仁はあまり贅沢はなさらないような気がします。
園遊会を開く必要もなくなったし。
明仁上皇、美智子上皇后ともに心優しくリベラルな方で、
元号や皇室などに特別な興味を持たないワタシでも敬意を抱かざるを禁じ得ない。
教養の高さに加えて寛容かつ誠意に満ちた方なのだと感じさせます。
85歳というご高齢で、いままでのハードワークをよくもこなしてこられたと頭が下がる。
ゆっくりお休みいただきたいものです。
話をもどすと
光格上皇がこの菓子の注文したのは
4月半ば頃(注文の帳面「御用留帳」が残っている!)。
花の盛りのころに開いた宴にふさわしい銘を下賜されたのでしょう。
あらためて
本日、2019年5月1日から元号が令和(まだ一発で変換できない)に変わります。
ふと思うと、このブログを始めたのも5月1日。
そう、2005年5月1日に始めてから14年が経ちます。
よくもまあ、続けてきたものだ、とあらためて驚かされます。
時が経つのは早い。年を取るのもね。
してみると
平成30年間のほぼ半分をこのブログとともに過ごしたようです。
もう一年早く始めれば、ちょうど15年、と切りがよかったのだ、が14年というハンパなところがいかにも自分らしい。
とらやとは大違い。
14年の間にこのブログを読んでくださったみなさま、
ほんとうにありがとうございます。
ブログを通じて
「わがし甘党の会」に参加してくださったみなさま、
ほんとうにありがとうございます。
そして、参加したいけれどいまひとつ踏み出せない、という方が、
もしもいらしたら
いつでも気軽にご連絡いただければ、大喜びで応対します。
どうしてもPCのキーボードから離れられないワタシは
Instagramよりブログが中心になっちゃいます。
だらだら長い文章を書いても読む方はごくわずかでしょう。
でも、続けます。
「近所の和菓子屋さんの豆大福、パン屋さんのあんぱん」
タイトルからして長いけど。
できるだけ、高い頻度を目指し続けて14年。
いまだに実現できてないけど。
ひきつづき どうぞよろしくお願いいたします。
2019年(令和元年)5月1日 あんころりん
・とらや赤坂本店
花の粧(一般販売はありません。現在調製していません):砂糖、白小豆、小豆、小麦粉、水飴、寒梅粉、澱粉、紅花色素
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このブログに出会ってそんなに経ってるんですね〜!私もまだ〇〇歳代の若さだったんだー(^^;
なかなかお会いできませんが、ブログは相変わらず楽しく読ませていただいております!
是非これからもず〜っと続けてください(^^) マイペースでね!
そして、いつかまたお会いできる日を楽しみにしてま〜す(^^♪
ありがとうございます!いもすけさんが読んでくださっているだけでも続ける価値があります。
お目にかかってからずいぶん経つけれど、でもつい最近のような印象があるのはこうやってやりとりしているからかな。またぜひ会いましょうね!
よくわからないけどとらやっぽいと感じます(笑)
こういうきっちりしたお菓子は、なかなか編めないなあ。
これからもブログ続けて、わたしたちに美味しい情報を教えてくださいね、よろしく願いします!
すっごくグラフィカルな意匠と、スキのない仕事がとらや、らしいと感じさせます。
なーるほど。編むに相応しいかというと、考えますね。
石鹸なんてイイんじゃない(笑)
こちらこそ、いつも深い洞察と豊かな見識に、軽いノリを見習いたいなーと十数年。これからも追いかけますのでよろしくお願いします!